24週の妊婦健診で赤ちゃんの心拍が確認できず死産となりました。
今日は7日目・退院日の事を記載していきます。
++++++
【1日目】血液検査・点滴・処置説明
【2日目】水分で膨らむ棒を子宮口へ〜1回目
【3日目】水分で膨らむ棒を子宮口へ〜2回目
【4日目】子宮口を柔らかくする点滴
【5日目】陣痛促進剤(膣座薬)
【6日目】陣痛促進剤(膣座薬)&出産
【7日目】退院
++++++
出産後続いていた出血が落ち着いてきたけれど、右下腹部がちょっと痛い。
(回復時に?)子宮が右に寄っていくから問題ないらしい。
助産師さんが産後の注意点を教えてくれた。
- 通常の出産と同じなので産後は6〜8週間産後休暇を取得できる。
- 今後出血が数週間続く。
もし大量に出血して止まらない時や血の塊が出た場合は病院に連絡する。 - 胸が痛くなってきたらアイスノンで冷やす。
(母乳を止める薬を2週間服用) - 子宮が戻っている途中だから数日腹痛があるかも。
子宮収縮剤を2週間服用。
腹痛があれば鎮痛剤を飲んで大丈夫。 - ホルモンが崩れるから急に泣いたり怒ったり眠くなったりいつもと違う事が起こるけど、我慢しないで自然にまかせて過ごしたらいい。
放っておくと産後うつになるから注意。 - 産後は食欲が落ちるから無理に食べなくてOK。
母乳を出さないから炭水化物を無理して摂らなくて大丈夫。
タンパク質とミネラルを中心に摂れれば最高。 - 出産後はとにかく身体の中がぐちゃぐちゃだから安静にしてなきゃいけない。
- 性交渉は退院後1週間絶対ダメ。
- 退院後の健診で子宮が大丈夫と言われ、生理が来てたら妊娠OK。
- 湯船は1ヶ月入れない。
朝食後やっぱり胃が調子悪い。胃薬を処方してもらって飲んだ。
11:30 診察。問題ないようで退院することに。2週間後に診察予約。
12:40 退院。夫が迎えに来てくれて、娘が入った箱を持って帰宅。
病院が娘を入れる箱を用意してくれて、箱の中に綺麗にお花が敷き詰めてあった。

私達は棺などは用意せずに、病院が用意してくれた箱(紙製)のまま火葬することにした。
娘が裸のままなので服や靴下を買ってあげよう。
妊娠7ヶ月だったのでまだ赤ちゃんグッズを何も準備していなかった。
家に帰ると折りたたみテーブルの上に絵本とぬいぐるみを置いて、夫が祭壇用の場所をセッティングしてくれていた。
そこに娘が入った箱を置いて「おかえり」と声を掛ける。
2日後の朝に火葬の予約が取れたのでそれまで自宅で一緒に過ごせる。
病院では気が張っていたのか、自宅へ戻ると滝のように涙が溢れ出て止まらなくなった。
思考回路が停止して何も考えられない。
とにかくぼーっと一点を見つめて泣き続けた。
そんな私を見て夫が心配そうに声を掛けてくれるけれど何も反応できない。
現実なんだ、もうお腹に娘はいないんだ、出産したけどまだ現実だと受け入れられないみたい。
父に電話した。
入院中に連絡したかったけど自分では出来なくて夫に連絡してもらった。
父は口が悪く、何でそういうひどい言い方しか出来ないんだろう?と、話していて腹立つ事が多々ある。
けれど私が辛い時などは父なりに励ましてくれる。
そんな父が連絡をしてすぐに手紙を送ってくれた。
便箋2枚にびっしり手紙を書いてくれた。
「無事に退院したよ。手紙ありがとう」と伝える。
父は「病人だと思ってゆっくり過ごしなさい。今しっかり休まないと後で身体にガタがくるぞ」
「明るい気持ちでいろよ。暗くなるな」
「今が1番辛くて後は良くなるだけなんだから。大丈夫だから」と、
父なりに私を励ましてくれた。
父も第一子を死産で亡くしてるので悲しい気持ちはよく分かると。
でもまだ若いから大丈夫だと。
夫の事も心配してくれた。
へその緒をもらえたので、可愛いケースを楽天で注文。
16時 夫が役所に埋葬許可証を受け取りに行った。
これを持って明後日火葬場へ行く。
姉と叔母が北海道から来てくれた。
玄関で姿を見た途端涙が止まらなくなってその場から動けなくなった。
入院中はあまり大事にしたくなくてわざわざ北海道から来てくれなくてもいいのにと思っていたけれど、やっぱり来てもらって良かった。
こんなに安心できるなんて思ってもみなかった。
夜はお寿司をテイクアウトして食べた。
妊娠中は生物を我慢していたので嬉しい。
入院した時はショックで悲しい気持ちはもちろんあったけれど、出産の痛みの恐怖が大きくて「時間が早送りされて早く1週間後にならないかな」と思っていた。
でも終わってみるとあっという間で、出産の痛みや恐怖はもう忘れかけている。
また出産するのは怖いけど、やっぱりまた妊活を頑張ろう!子供が欲しい!
コメント